low days

Kyoto Japan No Fun / PIANOGIRL vo. diary

無題

ぼうっとしてきた午後1時だ。あと30分ほどで出勤。8時に目覚めて台所にあった唐揚げらしきもの(少量の油で焼いてる?ようなもの。最近知ったがカツレツと呼ばれるものがそういう調理法らしい。)と茶碗一杯の飯を食った。昨日の晩から腹を空かせていたので夢中で食った。それから本を読んだりして過ごして煙草も何本か吸った。部屋には天窓がある。薄汚れてて空も見えないが仄暗い半地下の部屋に貴重な光をもたらすもの。そこから伺うに、天気はどうもあまり良くないようだ。ヤカンの紅茶を温めて飲む。そろそろ出る。

14日に居る。書くことは特に見当たらない。朝、コーヒーを淹れて飲む。tedが見ていたNetflixの海外テレビを俺も何となしに見る。何かしらの問題を抱える人を五人のクリエイターがそれぞれの専門分野においてコーディネートしていくという内容。髪を切って新しい服を着て料理を作って、自分に自信を持たせた所で問題解決に向かう。なるほど。この手の番組には難癖着けたがる俺だが、これは自然と楽しめた。

今日はもう19日だ。一昨日から久しぶりの雨が降り始め、なんとなくスピーカーのハイレンジが立つ気がする。気温は暖かで湿度も心地よい。遠くの工事の音を聞きながらこれを書いている。これから仕事に行って夜はピアノガールのスタジオ。明日はライブだ。楽しみでいる自分がいる。SOOZOOのアルバムは最終マスタリングに入れそうな所。3月にオーストラリアのLongHoursというノイズ系ソロミュージシャンとツアーを回る。スプリットアルバムの予定もある。英語のやりとりは色々と難しいがお互いfuckの連発で何とかなってる。

ファイター脱退について。

先月発表したDr.ファイター脱退について。


年内でDr.ファイターがバンドを脱退する発表をしてお騒がせしたのですが、実はあれから話し合いを重ねバンドとファイターお互いの意見の擦り合わせが上手くいき、彼のピアノガール継続が決定しました。


心配をおかけした皆様には本当に申し訳ない気持ちで一杯ですが、どう考えても良い結果であることを僕たちと共に喜んで頂ければと思います。


お騒がせして本当にすみませんでした。


こんな身勝手なバンドですがこれからもピアノガールを何卒宜しくお願い致します!

2019.12.13 ピアノガール一同

 

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-----以下ファイターのコメントです。-----

 

今回の件について。
脱退すると言ってからライブが全部で6本ありました。
正直1本目のライブをするまでは消化ライブになるんだろなと思いつつ、バンドでスタジオに入る訳もなく滋賀でのライブを迎えた。
音が鳴った瞬間から最後まで今までと何も変わらなく、自分のいつものライブを出来て、
あーこれこれ!って感覚がありました。
それが6本続いてただけ。
辞めたら俺以外誰も叩けるやつおらんやろってずっと思ってました。
それは今現在のメンバー4人全員が自分に持ってると思います。
何よりも秋の歌が好きだし、NJの早食い、豪の酒の酔い方。それだけです。
今回で沢山の方にまた世話になった分、今後のピアノガールの活動、飛躍で返して行きたいと思います。
これからもこんな4人を宜しくお願いします。
個人的にfogというバンドもやってるし、来年からピアノガール、fogだけでは無く新たに始まる事もあります。それも含めて今後とも宜しくお願いします。

ピアノガール/fog ファイター

 


※現在ピアノガールは新しいホームページを作成中です。完成次第発表致しますので御意に介して頂けますと幸いです。

無題

12月も二週目に入り町の斜陽を背中に感じる。騒がしさはまだ無い。最近また夜を眠れないでいる。と言うより、酷く疲れている時や朝方に眠る時に限って中々寝付けず布団の中で朦朧と時を過ごすことが多い。原因は分からないしストレスがあるとも自分では思えない。普通人が感じるであろう日々のストレスを俺はあまり抱えない。自分では気付かない内に毒が溜まっているとして、それはそれで面白いじゃないかと思う。しかし眠れないのは辛い。

明日は休日。午前中にスタジオを予約した。夜にかけてはtedとゆっくり過ごそうと思う。4人揃って音を出すのは久しぶりだ。俺は仕事終わりの真夜中一人でスタジオに入っては、ああでもないこうでもないと煙草を吸っては床に座り込んだりしていた。NJはどうしてた?サポートで参加するSTONELEEKでメキシコのKNOTFESTに出演してた。ネットで流れてくる写真や動画を見たが、良かった。ギターを弾き続けて本当に良かった、と彼は言ってた。俺は頷きながら少し胸を熱くした。ファイターはダンプを運転してて肋骨をやったと言う。ある日電話が来てそう聞いた。肋骨のヒビや強打撲について俺の経験から言える治療法を話したが俺は終始可笑しくてゲラゲラ笑っていた。笑うと痛むので彼ははぁはぁ言いながら必死に堪えていた。多分笑いと痛みの両方を。豪は何してた?相変わらず仕事で米を運んだり記憶が無くなるまで酒を飲んだり、そんなところか?TEMPLEはそろそろ何処かのライブハウスを出禁になれば面白いのにね。

年が暮れていくと来年はどうしようかと考える者がいるが、俺は考えてみて上手くいった試しがないのでそうはしない。年越しは京都でする予定だ。年が変わるまでに仲間達とたっぷり酒を飲めたら俺はそれでいい。多分その夜に吐く白い息や星の無い空、吸いたくもない煙草を吸ってアスファルトでねじり消すだろう。毎年どうだってそんなもんだ。さて行こうかね。どっちへ行こうか?お前はそっちか?

 

11月最後の日。仕事は12:30入り。10:00に目覚めて昨夜の鍋の残りに味噌を溶いた。簡単な朝飯を食いながらテレビを付けてみた。(普段全くテレビを見ないので、付けてみた。という表現をした)それからtedにコーヒーを淹れてもらう。だいぶ古い豆挽きなので随分粗挽きの粉になってしまった。紅茶のように薄い色のコーヒーだったが香りは立っていて美味かった。それからベランダで煙草を吸って出勤までの時間を過ごした。煙草は中国で買ったやつ。不味いが、パッケージの湖のデザインが気に入っている。

昨夜は酒を飲みながら大昔のピアノガールのデモを聴いてた。それなりに楽しめた。一曲、今でも気持ちよくプレイ出来そうな曲があったので今度皆んなに提案してみようと思う。

11月はピアノガールでのライブが4本。ソロが1本。スリランカ旅行。思えば様々に盛り込まれた一ヶ月だった。最終日の今日、こんなにも色々とあった30日間だが一瞬の出来事のように感じている。

仕事が終わって木屋町へ。高松からkojiと奥さんの紫乃ちゃん。たーけー、Look at moment.のタダケ、彼の奥さん、の五人が京都に来ていた。fogのレコーディングが終わって先に何人かで飲んでた所に仕事終わりの俺とカナさんで合流した。カナさんは随分渋っていたが俺が缶ビールを一本奢って無理やり連れ出した。店に着くとファイターはもうゲロまみれでトイレで暴れてた。俺はワインボトルを持ってそいつをぐいぐい飲みながらファイターの横に座って彼の話を聞いてた。品性悪く夜は更けていき、たしか1時頃に店を出る。高松勢とはここでお別れだった。もう帰るのか?俺はそう思ってそう口に出したと思う。彼らを乗せたタクシーは凄いスピードで消えていった。皆んな元気そうで良かった。京都勢はそれからもう一軒だけ行き、何の話をしたかよく覚えてないが楽しく酒を飲んだと思う。最近飲むと必ず誰かと揉めてた。今夜は大丈夫だったか?河野さんと俺の家に帰った。東京からチーコが戻っていて、tedと飲んでた。3時くらいだったかな。俺はもう眠たくてタバコを一本吸ったら折角作ってくれたハイボールも飲まずに寝始めたと思う。次の日は案の定体調を崩して一日中家で横になってた。見に行く予定だったライブにも謝りの連絡を入れて。窓の外が暗くなっていくだけの休日だった。

12月2日 仕事から帰宅。時間は23時半を回った頃。さっさとシャワーを浴びて緊張感のようなものを洗い流してしまう。これを書いているが、もう終わろうとも思う。そうそう先日、親しい友人の恋人が本を出版したと言ってプレゼントしてくれた。自分の日記がそのまま本になったという。彼女は言ってた。自分の言葉が大切な人を傷つけるんじゃないかと恐れている、と。内なる言葉の発露はそういうものだと思うが、案外そうでもないかもしれない。

俺にはある。自分の表現に自分自身が痛みつけられる感覚が少しばかり。表現をしない人間は強い。最近そう思う。彼らは痛む心を自分には関係無くさせてしまえるから。それが誰も気づかぬ内に膨れ上がってこの世に本当の痛みを作っていく。それは多分、続いていく。

古墳を形どった小高い緑の丘に登って弁当を食ってた。見下ろせば夕暮れまでの時間を貪るように遊ぶ子ども達。その夢中さはさっきまでの俺たちにも似ていて、大人だけが味わうあの特有の後ろめたさなど微塵も感じずにいられた。夕刻。この辺り一帯を望める丘の上で飯を食ってた。色鮮やかな遊具に果実のようにぶら下がった子ども達は騒ぎ立てる。休息さえ惜しむほど音楽に明け暮れた俺たちみたいだった。

 

10月31日 三重県津市の朝倉邸にてSOOZOOミキシング。

 

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散文

仕事が終わり1時前に帰宅。夜は寒いが自転車を漕ぐとまだ汗が出る程には暑い。

薄手の毛布を被って眠るtedを起こさないように小さな灯りを付けて、浅土色の湯呑み(Hue's 龍からの贈り物)に焼酎を注ぎ熱い緑茶で割った。ファイター、NJ、豪と作ったフルアルバム''青天井''をイヤホンで聴き始めた。今この音楽を聞きながら俺は一切の熟考を止めてただ流れ出る血液のように言葉を吹き出させてみようと思う。

 

空の下に道が一本伸びている。

緑草や大小なる石が囲み、汚い犬や美しい猫がそこを行き来している。

俺は一歩後ろに下がり、共に行く男達の後ろ姿を写真に撮ってみる。

たくましいその背中がこの道を作っていることを知る。

道は人間が作るものに他ならず、空はそれを見ているだけの圧倒的な天井だった。

俺は青空を撃ち抜く。

俺は青空が好きだ。

どうしようもないことが人生で、力は自己以外からは宿らない。

産まれくる力こそが誰のことも傷付けない。

日々は過ぎる。未解決のまま。

失うとはやはり辛く、痛い。

でも辛くなく、痛くないのは生きているからだ。

命を失くしては何がどうなろうか。

命が続けば、深い苔が空気を冷まし鳥だけが鳴くような日々が来るんだ。

その時、道は無くなるかもしれない。

その時、心へ辿り着いているかもしれない。

全力でやらなければ人間は取り戻せないね。

時代のせいにしても良い。それぐらい糞ったれた時代だ。

散文的な社会はただ象徴なだけで、自分が思い浮かべる理想のそれは本当は最初から存在していたと思う。

何が言いたい?俺にも分からんよ。

何も分からないが、そこに在ったということは分かった。

頼もしい俺たちはもう大丈夫だと合図しよう。

空の無限と道の有限を知ったら楽しくやれるね。

心病む友も成功した友も同じ地平線に沈む太陽に眠っているんだ。

そのパノラマを俺は唄うことにする。

 

無題

記録的な台風が過ぎ去り、夕暮れと共にグッと冷え込む季節になった。ブルーハーツみたいな一文から始まったね。身支度をする時、半袖を一度着ては夜の寒さを思い出して長袖に変える。そんな夏の癖がまだ残る頃、10月14日に書く。

本当に今理由なくふと思い出すのは実家のベッドだった。頭の棚にCDコンポを置き、低音を増幅させたEQにして、洋楽はパンク、ハードロック、メタル。邦楽は青春パンク、ヒップホップ。休みの日は一日中聴いてたと思う。楽器を覚えたらバンドメンバーが出来て、彼に自分が初めて作った曲を聴かせた。死にたいくらい恥ずかしかったのに聴かせずにはいられなかった。ぼれええが!(広島の方言で「とても良い」の意)でもサビはもっと高いキーにして盛り上がる感じの方が良いんじゃにゃあん?(広島の汚い喋り方はこんな風に語尾をまくりあげる)と彼が言う。今思えば彼がそんな真っ当過ぎる感想を言ったことが面白いんだけど。無理やりベースを弾かせてたそいつが言った感想が俺の音楽人生において初めて貰った''リアクション''だった。今でも鮮明にその時のことを覚えてる。それから2年間スリーピースのバンドをやり30曲近く作った。ギタリストが入って4人でも何度かライブをしたが、卒業と同時に皆は就職して大学に進学するのは俺だけだった。バンドは円満の解散。やり切った感覚があった。それと同時にこれから始まる無限の音楽人生への幕開けを感じていた。

音楽は無限で命は有限。仏教も戦争も勉強したが、どう考えても命は一回きりだ。俺の中から産まれくるあらゆる感情をその都度大切にしなければならない。音楽はそんなワガママを聞いてくれる。優しさを喚けるしお前の悲しみを聞くことも出来る。出会いをもたらし別れをくれる。結局は酒を飲んで適当を吐いて昼まで寝るだけなんだが、適当じゃないし心が眠ったことも無い。自然に身体が動くということはもはや赤ん坊じゃない俺たちにしては稀有なことだと思う。リフ響きキックインし這うベースで悩ましきは消え歌声が産まれる。''泣く''という言葉は''唄う''と同義だ。最近手を付けている曲はこんなことをテーマにしている。