low days

Kyoto Japan No Fun / PIANOGIRL vo. diary

そして知覧への回想、バンドでの鹿児島遠征覚え書き。今回アルバム「青天井」に収録する曲にこの時の思い出を書いたものがある。

今年の四月。俺は鹿児島知覧に居た。
特攻隊の史実をこの目で見てみようと思ったからだ。
かつて航空基地があった場所や隊員が暮らした兵舎を見て回り、彼らの心の拠り所だったという旅館に宿泊した。
実際に出発前に食ったという飯を食い、旅館の女将から色々な話を聞いた。

基地の跡地は今では広大な茶畑になっており、人通りも少なく閑静としている。それは平和の象徴のような景色。
空を見上げるとおよそ70年前にこの同じ空を航空兵器が飛び交っていたという事実を突きつけられたようだった。
隊員が寝泊まりした三角兵舎のある森林地帯は不気味な印象だった。
まさに「潜む」という言葉通りの場所。
もしやアルカイダ、ISらが篭る中東の山岳地帯はこれと似た雰囲気を持っているのではないか。
アルカイダも当初は聖戦士と呼ばれ、その土地の民衆から支持を得ていたと聞く。
それじゃあどうしてテロリストと呼ばれるようになった?

平和資料館は俺には糞だった。''作られている''感じがどうもね。
しかし無数の遺書から一つ目が止まったものがあった。
一枚の黄ばんだ半紙に「轟沈」の二文字だけ。
轟沈とは船が僅か一分以内に沈むことを意味する。
戦死を前にして実に単純明快、五月晴れのような清々しさを持った言葉。そしてそれを最期の言葉とした人とは。
多分、爽やかなる人。大きな声で笑うんだろうな。
俺は自らの死の意味を二文字では残せないだろう。
家族や恋人に宛てた内容のどんな遺書より戦争の強烈性をその二文字は放っていた。

朝靄のなか富屋旅館を出ると、表通りはひたすらに真っ直ぐで、まるで滑走路のようだった。
酔っ払って散歩した夜に感じた空気とは異質なそれだった。
春だが冷ややかで、雪のように何かが舞っていた。
振り向いた後方には橋が架かっており、柱には永久橋と刻まれていた。

帰路での話。
大阪まで帰り阪急京都線に乗り換え、もう隣町だという頃。
ふと車内で夜風を感じ振り向くと後ろの方の車窓が少し開いていた。
疲れ火照った身体に夜風は涼しかった。
目の前にはお腹を膨らませた妊婦らしき人が座っている。
俺は旅の終わりに思い出していた。
旅中に出会ったある女性が自分の子ども達に対してこんなことを言っていた。

''産まれて来てくれただけでありがとう''

若くして死んで行った兵士達の魂宿る地で彼女はそのようなことを思うのだと言った。


今回バンドとしては初の鹿児島という地でライブを行う。
俺たちを呼んでくれたNo Edgeのマッキー、トミー、赤崎、ありがとう。
以前彼らの関西ツアーで俺たちは奈良で一緒だった。
その後の京都編では俺は仕事で携わり、夜も遅くまで飲んだな。
翌朝三人は小さな車にすし詰めになって帰っていった。
俺は彼らに缶コーヒーを買って、のろのろと動き出すその車を見送ったよ。

これを皆が読む頃には俺はもうライブも終わり酔っ払ってアホみたいな顔をしているだろう。
翌日夜の飛行機で京都へ帰る。
鹿児島、京都間は遠い。
ひとすくいの思い出だけがその距離を埋めるだろう。
顔を見知った人もそうじゃない人も、また何処かで。

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写真は夜の天文館、Li'sというスナックで仲良くなったお爺さん。