low days

Kyoto Japan No Fun / PIANOGIRL vo. diary

9月になり初めて書く。雨の金曜日。

9月7日 昨夜から降り始めた雨はしつこく今もまだ街に居て、まんまと俺はびしょびしょだ。帰宅したのは朝5時過ぎだった。NJと録音をしていてこの時間になる。誰もいなくなった通りを走ると気分が良い。唄い出す奴もいるかもね。そんな風に唄われる唄には命がある。内から突き破ってくる命。それこそが聴くに値する。9月7日。思い出すのはinthenaMEofloveの9/7という曲。theorem明和さんの追悼イベントで故人が好きだったという理由でその曲を演奏していた。こんな昔話を俺は何の為でも無く書き続けている。忘れない。忘れるさ。

10時過ぎに起床。同時に子猫も起きてきて俺の足や手を力一杯噛む。目覚めて最初のパワーをこれでもかと俺に見せつけてくるようだ。俺は顔を洗って区役所を目指した。tedの住民票の写しを代理で貰いに行く。役所関係は平日午前中が暇な俺の役目だった。そのままの足で出勤。途中また雨が降ってきてズボンがすっかり濡れてしまった。一昨日にボンドで貼り付けたパッチが少し剥がれてくる。Tシャツを刷る部屋にドライヤーがあるかと探したが見当たらず、ズボンは2時間ほど冷たく黒ずんだ。

-----深い山の道の駅に車を停めた。案内所には付近の地図と情報誌が並ぶ。男が一人、地図とにらめっこをするように立つ。気温は思っていたほど低くはなく、長袖を一枚羽織るほどで十分だった-----

23時に帰宅。豪雨だった。一日中降る時、空は枯れてしまうのではないかと思う。至って平穏な一日。糞も味噌も無い一日。俺にはそう見える時間を、いかにも人生最高みたいな顔で楽しむ連中を袖から見ている俺。彼らに対して興味なんかある訳ないのにどうしてこんなに悶々とするのか。人間を唄う限りこれは失くならない感覚だろうな。上手く付き合っていかなければ。上手く?そうじゃない。上手くやりたくない。本当に会話が出来る奴らとは何も上手くやろうとした努力など無いもの。

-----車の後部座席はフラットにして布団を敷いてある。俺たちは暗闇の駐車場で飯を食い始めた。柵の向こうでは有料キャンプスペースで楽しむ家族連れの声。何の不安も無いような声。彼らの焚火の明かりが巨人のように揺れる。山は深く、その霊的な力を全身に感じる。煙を吐いた。昼間に買ったハイライトを-----

翌朝は10時に起床。雨は上がり郵便のバイクがせわしなく走る。今日はSOOZOOでライブだった。火暗しのイベント。ウスノロな昼間に居た。ライブの日はいつもこうだ。身体が怠く、酷く眠い。リハを終えてビールを飲み始める。オープンと同時に知った顔が集まり始める。夜はいつもこうやって始まった。

-----車で眠る為に駐車場内を移動した。街灯の無い場所へ、少しでも暗い隅の方へ。ミニボンベで緑茶を沸かし、梅酒を割る。そいつを車内で飲んでから眠ることにした。身体を冷やさないように。星空だった-----

帰る頃にはもう何を喋りたいのかほとんど分からない口調だった。西院からタクシーに乗り岡崎へ。家に帰り着き玄関を開けたそのすぐ先に倒れるように横になる。そのまま俺は眠ってしまった。明け方5時頃に目が覚める。固く冷たい床のせいで身体中が痛い。のそのそと上体を起こして台所へ行き水道水を飲んだ。今日のことを考える。仕事は...確か休みだった。安堵する。ライブ以外で一日何も無い休みは本当に久しぶりだった。台所で俯いていても今日は終わらない。今日?果たして今は今日なのか昨日なのか。あうう。こんなどうでもいいことは放っておいて、早く二階へ上がって眠ろう。

-----山霧が浅くかかる朝。肌寒いがまだ夏山。標高があってもまだ耐えられる気温。トイレに着替えに行ったtedを待つ間インスタントの味噌汁を作る。駐車場で食う朝飯だ。しっかり食って今日の挑戦を想った。出発地点まではこれからシャトルバスに乗り20分ほど。そして往復およそ5〜6時間の登頂が始まる。最後にフレームザックに食料と水を詰め込んで、焼岳へ向けて出発した-----

9月10日 酷い二日酔いは夕方過ぎまで続いた。昼飯は一乗寺まで出て、帰り道の本屋で本を2冊買った。それからNJが家に来たのが16時30分だったと記憶している。茶を飲みながら話す。俺はしんどかったのでリビングに敷いた布団にだらしなく横になりながら。19時過ぎにはseiryuもやって来た。それから皆んなで飯を食うことになり、スーパーへ買い出しに出た。船岡山のデカいスーパー。俺はやっと元気になってきたのでまずはビールから始めることにした。ちーこは仕事を休んで、歳も同じ5人は鍋を囲み楽しくやった。夜中3時過ぎに解散。片付けは翌日でいいや。俺は思った。良い休日だった。