low days

Kyoto Japan No Fun / PIANOGIRL vo. diary

渋谷、高松でのライブを記録。

12月になり2週間が経とうとしている。しばらく書いていなかったが、ただ過ぎた日々ではなかった。9月の終わりに折った肋骨は完治した様子だが、まだ無理な体勢を取ると思い出したように痛む。初めてヒビを入れてから何年も定期的にやってしまうことで慢性的な痛みになってるかもしれない。安静にしなかったから変な形で骨がくっついたんだとtedは言った。ふむ。それは面白いね。

11月は遠征の多い月だった。車で移動する時のほとんどを俺は酔っ払っていた。安全かつ三日月の速度で運転をしてくれたファイターとNJにありがとう。

28日は渋谷。いつものように早朝に街に着く。クラブかどっかで楽しくやってるんだろう、騒がしい音が車まで聞こえてくる。眠れない俺は豪と飲みに出た。カラスとゴミだらけの朝7時、少し歩いて居酒屋へ。店内には夜から逃げ遅れた者がちらほら。タバコを忘れた俺は若い男に100円を渡して一本を貰った。その男の連れはもうダメみたいで床に転がっていた。帰り際には店員も出てきて二人がかりでそいつを抱え上げる。もう外は明るい、酒も覚めるだろう。二杯ずつをやり俺たちも車に戻った。眠ろうとすればするほど眠れず、仕方なく車窓から街を眺め続けた。鎮火されていく様子の街では誰もが帰る場所を持たないように見えた。この日のライブには昔馴染みの女の子が来てくれていた。五年程前か、当時よくライブに来てくれていた彼女。元気そうで、結婚もしたという。そうかい!それは良かったね!俺はライブのすぐ後で、ぶっかけられたように汗をかいていた。身体の熱が引いて寒くなってくるくらいの間を彼女と話した。どんな風に歳を取ってきた?彼女はこの町が私の町だと言ってるように俺には見えた。

あいだ一日を仕事をし、30日は高松へ。昼走りも悪くねぇなと言いながら機材車は島と島を飛ぶ。途中淡路SAでファイターにサングラスを買ってプレゼントした。何の理由も無かったが、ただ面白かったから買った。そいつを付けると安いチンピラのようで本当に可笑しかった。リハを終えて日暮れる商店街に出た。この街に来るといつも寄るpunk shopへ、この日はメンバー皆んなで顔を出す。10ホールブーツを履く60歳のパンクスがやる店。俺はまだ名乗ってなかったが、顔を合わすと会話が始まる。久しぶりだね?調子はどう?俺の話に小刻みに相槌を打ってくれる人だった。しばらくして皆は店を後にしたが俺は一人残ってジイさんと話し込んでた。別にどうってことない内容。最近ボケてきて、crashとpistolsの太鼓の名前を間違うよ!ガハハハ!飼い猫の黒猫が店内をうろつく。俺はマネキンが着る埃を被った鋲ジャンに目がいって、これは大将が打ったの?と訊ねる。いいや、それは友達の女の子のものでね。死んじゃったから形見として貰ったんだよ。捕まえた黒猫を丁寧に撫でながらジイさんは言った。俺たちは外に出て煙草を吸うことにした。もうすっかり日は落ちて気温も下がってきた。そういえば、Doiさんを知ってる?彼も今年亡くなってしまったね。Doiさんもたまにふらっとこの店に立ち寄ったらしく、ジイさんから少しの思い出話を聞くことが出来た。ロン毛のパンクスで、民族楽器の長い笛を吹く姿を俺は知ってた。いつだったか、彼とコンビニの前に座って缶ビールを乾杯した記憶があった。俺は彼のことをそんなに知らなかったが、高松では沢山の人に愛された男だったという。TOONICEでは先日、Doiさんが集めた服や自作したジャケット、パンツなどを皆で形見分けしたらしい。TOONICE店長の井川さんはその中から俺に似合いそうな服を見繕って置いといてくれたという。見れば、意志を感じる服ばかり。亡くなってからこんなに近付けたのなら、もし運命が違えばどんなに話が出来ただろうか。酒を、煙草を、どんなに。

出番最後の俺たちが終わったのが23時前。本腰を入れて飲もうか。近くの寿司屋へ行くことになった。俺はもう酔っ払っていて適当なことばっか喋ってたと思う。どうもいかんね、こうなると。さぁ、俺たちには旅の終わりが見えてきた。思い出は火に焚べよう。ブーツの紐はしっかり締めたか?終わりは始まりだ。始まったらまた泣き喚くのか?そのつもりだ。