俺個人とすれば表現とは自らの小体験を永遠にしようと躍起になること。もしくは言葉にならないものを言葉にして、ましてや聴き取れないほどの大音量でやるのはなんでだ?その疑いのペンで紙面に念ずること。
夏の朝、少し開いた窓から吹き込む風に柔らかくページがめくられた様子や、タイヤに張り付いた花びらをぺらりと剥がして水溜りに捨てた時の取り留めのなさ。そういうものにも、ついには意味があるものなのだ。
表現において正誤は無い。しかしその過程には幾つもの成功や失敗が繰り返される。もう一人の自分がそいつを見てる。進み続けるかどうかは彼のみが決める。