low days

Kyoto Japan No Fun / PIANOGIRL vo. diary

一月

1月10日。No Fun年初めのスタジオが終わり帰宅した。寝室の隅っこで大欠伸をしながら書いてる。

新曲がほぼ完成した。帰り道30分ほど歩きながら繰り返し聴いていた。演奏しながらも感じてたが、なんつーかね、皆の出す音が大きなバブルリングだった。シャチ、縦横無尽に泳ぐ。個人的には気に入った歌詞もあって、色々と考えてしまうことは中々メロディに乗らない。ワントゥスリーってなんだろう。欠伸をまたひとつ。曲が出来るってことは何日かすればどうだっていいんだが、その時だけは何か特別な尊さがある。ましてや共に演奏された音が自分の範囲内を少しずつ脱していくともすれば。

1月11日 午前中に台所に立ってる。ここ数日植木に水をやるのを忘れてた。洗濯物も干しっぱなしでゴミも出すのを忘れた。だがそんなこと全て無視して俺は明日のライブのことだけを考えてしまってる。音楽の素晴らしさなんて相対的なもんだが、夢中になるという点においては絶対的な尊さがあると思う。ましてやそれを一時的に他人と共有するとは。

1月14日 大阪の天王寺の町を散歩していた。ライブの日、リハが終わって一人で。この町に来るといつもそうする。好きな喫茶店は定休日だった。裏路地にある小さな神社に入って十円玉を放り投げる。先客の男が一人。作法は彼に倣ってみた。それから当てずっぽうに歩いていると昔フラフラした公園に出て、その時振り返ると駅ビルに沈む夕陽がひとつ。そいつを眺めながら家から持って来たオニギリを2つ食ってライブに備えた。

1月20日 この日のライブは岡山。この街のベーシストに脈々と受け継がれているのだろうダウンピッキング。終日雨でコンビニの前、煙草を吸って地面で消した。瀬戸内の演奏家は姿勢が綺麗な気がする。楽器を演奏する背筋や骨格が美しいような、そんな気がする。

1月23日 自分のソロライブ。バンドでは使ってないアコギでやる。やはり少しSNは悪かった。最近ギターを弾く場合、指先が澄んでいく感覚を持った。が、歌という点においては喉の疲労を自覚してしまっていた。7曲中5曲を新曲でやったのは自分の為には良かった。

1月26日 亀岡市に居た。明度も彩度も低い山肌を真っ白な残雪が控え目に化粧する。亀岡のイオンモールで昼飯を食う。3階の食堂。だだっ広くて寂しい店。冷たいそばを食って身体が冷えた。toeの一歳の誕生日祝いにtedと相談してマーチンのファーストシューズを贈った。どうせすぐ履けなくなるだろうが、こういうもんはそういうもんな気もする。

1月28日 小椋のやるSuperBackイベントにNo Fun出演。長い一日だった。ライブ中の体力は十分足りたがその前後がどうも課題だ。音楽、やればやるほど体調管理が最も大事だって気付く。そしてそれは時にはどうにもならんから、どうしようね。

2月1日 昨夜の雨で街はまだ薄ら濡れてる。2月になった。仕事が終わって深夜歩いて帰ってた。風、酷く冷たい。突然大きなバイクが歩道まで乗り出して来て運転手の男が話しかけてきた。すみません、財布を落としてしまってえ、、。俺は一言、無理です。無理ですかぁ、、。男はそう言って再び走り始める。何が無理なのか、お互い脈絡が無さすぎて俺も男も今頃面白いかもよ。

無題

しばらく書いてなかった。京都の本格的な寒さが始まり俺も誰もポケットに手を突っ込んでばかりいる。夜、一人で歩いて家に帰ってると同じように酒を飲みながら下を向いて白い息を吐く男とすれ違う。繁華街は気忙しく住む町は寂しい。いつだったか、何でもない夜。俺の小さな家の小さな台所の小さな机でtedと話してた。なんかさ、俺の話聞いてくれんかな?しょうもない愚痴みたいな話やけど。そう言って俺は喋り始める。煙草を数本、換気扇をつけたり消したりしながら喋る。

苦手な空間ってのが誰にもあると思う。俺の場合、表面的な会話や愛想でぼんやり成り立つ空間。永遠に信号待ちしてる気分になる。でもそういう自分の極私的な感情は死角に置き、その空間に涼しい顔をして留まったりも出来る。可能性を潰す行為は悪だと思う。

道路は封鎖される。

航空券をロストし宿も無い。

太陽は沈みそうにない。

宗教家の女が二人メガネの奥で笑ってる。

俺は駅前に座り込みアイスクリームを食う。

靴擦れが痛む。

音量が上がるにつれ祭りの客達は制御不能だ。

そば屋の娘は窓から身を乗り出して笑っている。

俺は潮風で錆びたバスに乗る。

看板だけが残ったダンス教室。

嘉手納から何キロも永遠のような有刺鉄線。

米兵と遊ぶ子ども達。

子どもに罪は無いが、また恐るるべきも子どもだ。

いいかい、これから世界がどうなろうと自ら毒を飲まないように自分の意思だけで生き抜けるから。

信じたこと、いつか信じられなくなるかも。

それを受け入れられるように今は強く信じよう。

その時、曲がり角を曲がれるように今は全身全霊突き進もう。

俺はまた寒い寒い京都の街に帰って来た。なぜそうしたか分からないが去年の沖縄を思い出していた。コップ一杯の白湯を飲み身体を温め布団にもぐり込む。これを書き終わる頃には多分toeが起き出して俺はまた寒い台所の明かりを点ける。

韓国ツアー記録 2日目 ソウル

14日 9:30起床。古いホテル、冷たい感じの窓枠。外は重たい雨。疲れはあるが熱は少し下がった。今日は大丈夫、そんな気がした。

煙草を吸いに表に出たらキスン氏とSTONELEEKの3人が怪訝な顔で道路に立っている。キスン氏の車に荷物を詰んでいたらトランクのドアが開かなくなったという。キスン氏はマイッタって顔。1分待ってくれ。そう言って彼は車で走っていった。2~3分して戻って来て、再びトランクを開けようとするが、開かない。
雨は強くなってきた。
5分待ってくれ。次はそう言ってまた車で出ていく。俺はSTONELEEKのドラムbetchさんとコンビニへ行った。朝飯とコーヒーを買う。虫の缶詰があるよ、とbetchさん。茶色く味付けられた芋虫。韓国では有名らしい。ホテルに戻ると車も帰ってて、トランクも無事開いてた。
ほとんど眠ってないであろうキスン氏の青白い顔も少し嬉しそうだ。しかしすぐに今度は運転席の扉が開かない!と言い始める。

STONELEEKはキスン氏の車で。No Funは電車で。今日はこれからソウルへ移動だ。VICTIM RECORDSが始めたライヴハウスclub VICTIMの営業初日。こけら落とし公演ってやつ。総勢12バンドの長い夜が待ってる。

ホテルを出る頃に雨は止んでた。
駅まで歩く途中、昨日共演だったHalf BroというバンドのBass.スーチョル氏が話しかけてくる。
シュウ、よく眠れたか?
うん、おかげさまで。
10人のNo Fun旅団に案内役でヨンヒ君、ゴ君、スーチョル氏、そしてSink to Riseのボーカル(名前を失念)を含めた14人はがらんとした仁川駅から電車に乗った。途中大きな川に架かった橋を渡る。ゴ君が俺の家はこの川の先にあるんだと教えてくれた。
It's so poor apartment.

彼はそう付け加える。俺も玉屋ビルでの暮らしを思い出した。
スーチョル氏と色んな話をした。
韓国の兵役についてとか。電車内のテレビでは竹島に関するニュースが流れてる。青や黄色でTRUTHの文字。どの国にもそれぞれのTRUTHがあるね。
末端の現場。顔を合わせて煙草を一緒に喫んだり、乾杯をしてみたりな。目を見て話せる位置。言葉が聞こえる距離。そういう場所で俺たちは出会わなくちゃならない。
途中の駅でSink to Riseのボーカル氏が降りた。日本語でサヨウナラと言いながら。韓国の電車、時間帯もあってかこの旅でやっと心地を付けて休めた気がした。座席のクッションは尻が疲労骨折しそうなほど硬かったが。

電車はソウルに着く。夜になれば街は豹変するよ、と。どこからともなく。そして眠らないんだ。13人は繁華街を列を成して歩きclub VICTIMに辿り着いた。看板の前で写真を一枚。新しい場所が産まれるって、勇気をくれる感覚がある。キスン氏をはじめVICTIMクルーは飲んだくれていた昨日と打って変わって皆真剣な眼差しだった。少し老けたようにも見える?
徐々に演者やお客さんが集まってくる。入口に溜まることが許された通り沿い。でかいゴミ箱は吸殻とゴミでもういっぱいだった。ライブハウスはまだ内装も途中でバーカウンターも無かった。隣のコンビニは大儲かりだろうね。共演者にイジュンという名の女の子がいて日本語が抜群に上手かった。聞くと大分県の大学に留学してたんだと。少し田舎だったと恥ずかしそうに語りながら。彼女のおかげで助かった場面も多かった。

16時頃にイベントは始まる。CASSってビールが美味い。おもちゃのような青いラベルで子どもがロケットに似せて跨りそうだ。多くの韓国人がそれを仲間と飲んでた。見習って俺たちもそうする。
パンクの化粧をした女が俺について来いと言う。もう何度目か分からないコンビニ。
あなたにビールを奢るわ、4本買おう。4本買うと安くなるから、仲間と分けたら良い。
ありがとう!君は今夜演奏する?
さっきすぐ近くのclubでライヴをしてたの。終わったから遊びに来た。
彼女はそう言ってプルを開ける。俺も同じようにする。
深く酔った男は終始ご機嫌に喋ってる。ジョニーとかいう名前だった。カップ麵を買ってきて蓋で器用に小皿を作って分けてくれる。これが韓国の伝統的な食い方なんだ。眼鏡が半分ズレ落ちながら彼は教えてくれる。

バンドの演奏が進んでいく。俺も良いペースで楽しめた。曲の間でわざわざ練習してきたであろうカタコトの日本語を喋るバンドはRUM KICKS。綺麗に鋲が打ち込まれたジャケットを着てoiな感じ。
人々は身体を揺らしたり外で煙草を吸いまくったりする。
今朝降った雨はもう遥か。水たまりに吸殻。空き缶と仲間意識。表通りは狭くて騒がしい。
不思議だったのはフルスモークの高級車ばかりが通るのにどの車からも一度もクラクションを聞かなかった。どれだけ俺たちが邪魔でも彼らは決して鳴らさない。そのうち車に気付いた奴が羊飼いになり、多分誰もが話を遮られた気にもならない。

No Funの演奏が終わった。精一杯の歌と演奏で感謝を残したつもり。そして俺個人としては旅が終わりそうな寂しさ。短い旅だった。ホテルのチェックインは23時からだった。打ち上げはVICTIMでやるという。俺とtedは先にチェックインを済ませにホテルまで歩く予定。するとお客さんの一人がタクシーを手配してくれた。彼女の手首には俺と同じクジラの刺青。彼女のがだいぶ大きかったので母鯨だなんて言ってるとタクシーが来た。

ホテルに着いて料金を支払おうとすると不愛想な運転手が早く車から出ろとジェスチャー。どうやら鯨タトゥーの彼女がもう支払いを済ませてくれていたようだった。打ち上げに戻ったら礼を言わんとな。何から何までありがとう。シャワーを浴び荷物の整理をして再びホテルを出る。

夜のソウル。クラブが多く並ぶ通りは大音量の騒がしさだった。その中で俺たちはまんまと小さき者だった。スーパーで買った白ネギが一本カバンから飛び出したまま家に帰る時のような、妙に所帯染みた肩の巻き具合でネオン街を進む。

日本にいても京都にいても、どこか喧噪の横で無表情な自分がいて、その度に混沌や炎って俺には実はとても静やかなものなのだと再認識する。静けさの中に居たいから叫び暴れているってことをそろそろ俺は認めなくちゃならん。今まで出会った派手な奴らも大抵そうだった。俺や彼らはラジオだ。家族が寝静まり自分ひとりだけが息する世界で聴こえてくるラジオ。今夜、交差点の青白い光の中に溶けそうだった。なにぶん、腹が減ってくたばりそうだった。

 

今、日付が変わって22日の午前一時。一週間前は韓国に居た。京都はこの土日で一気に気温が下がった。寒くて今夜は焼酎をお湯で割って飲んでる。さっき押し入れの段ボールからモヘアやフリースを出してきた。昼間は家の掃除をしてtoeの保育園の手続きやこの先控えてるイベントのチラシを作った。韓国初日に携帯の画面が反応しなくなり、ろくに文字も打てない状態。
旅の記録は記憶だけが頼りだ。

 

15日 9時頃の起床だったと思う。身支度を済ませたらホテルをチェックアウト。
今回全ての宿がキスン氏の手配だった。おかげさまで本当に良く休めた。全ての移動や荷物の運搬がVICTIMクルーの協力の下にあった。後にSTONE LEEK福来さんにどうすれば彼らにお礼が出来ますか、と尋ねたところ
韓国から日本に来るバンドによくしてあげる、それだけを彼らは望んでるよ、と。

 

皆と待ち合わせる駅まで朝のソウルを20分ほど歩く。
昨夜のゴ君の話では徒歩10分の道のりだったんだが、もうこの感覚の違いには慣れていた。
朝の空気を深く吸う。キャリーケースと小石。駅に着いてtedは甘いパンのようなものを買って食う。俺は熱いコーヒーを飲む。しばらくして無事皆と合流出来た。ゴ君とスーチョル氏は最後まで付き添ってくれるようだ。
仁川空港行きの電車に乗り込む。車窓を流れるビル群と広大な埋め立て地、海も見えた。電車が何度もクラクションを鳴らす。なぜ鳴らしているのか聞くとキバノロという動物が線路に入ってくるので追っ払ってるんだと。キバノロは長い牙を持つ鹿のような見た目で、絶滅危惧種だという。11月に東京でやる不時奏のチラシはキバノロのデザインで決まりだ。

空港の白い光と奥行きで、集合写真は未来のような遠い過去のような、不思議な写り方だった。さようなら。俺たちは日本に帰ろう。 機会をくれたSTONELEEK、No Fun初の海外遠征で様々な手配をしてくれたNJ。そしてVICTIMクルーに最大の敬意を!

荷物の預けも終わりひと段落ついた。見ると、行きの空港でひと悶着あった女二人組を発見した。彼女たちも二泊三日の韓国旅だったんだろう。離陸まであと1時間ちょっと。俺たちはCASSビールを飲み始める。一面ガラス張りで真っ青な空だった。

 

同日19時 GROWLYに着く。二階のスタジオではライヴをやってる。仲間のイベント。友達や先輩後輩、知った顔が集まってる。京都は自分が知っている街だった。GROWLYの味気ない壁や埃だらけの階段に仲間達と当たり前のように居る。こんな場所を無くしてはならないと強く思いながら阿呆みたいに騒いでやった。

翌朝、湖岸道路を車で走っている。tedの実家に預け面倒を見て貰ってたtoeを迎えに行く。彼は沢山食わしてもらって少し大きくなってた。よく笑うようにもなってる。俺はこの日で33歳になった。家に帰る途中いつも学生がカヌーの練習をしてる湖のほとりに車を停めて一本吸いに出た。またひとつ、旅が終わった。少しの貯金と思いつきで様々な人間と出会える。いつか彼らを忘れても、俺が忘れられても、写真を失くしても、聴こえなくなっても、何の気味悪さも無い。俺はもうこの記録を書き終わらないと。音楽と生活が待ってる。自分の中に燃え続けるものは何だろう。一体それは何の為で、熱くて静かで真っ白な頁が続く分厚い本だ。刻めど白くあれと願う燃える本だ。

韓国で髑髏の形をした小物入れを買った。
さっき中を開けると何故か柿ピーが大量に詰め込まれてた。ひとつ食ってみるが酷く湿気ていて不味い。台所に吐き出したがまだ歯の隙間に居る気もする。
まだ他に書き残したいことがあるはずなのに、俺は柿ピーがどうのこうの言ってる。

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一枚目は空港に向かう車窓。

二枚目はclub VICTIM前。

 

韓国ツアー記録 1日目 仁川

三日間の記録をぼちぼち書き始めようと、今は18日の午前中でコーヒーを一杯淹れたところ。帰国して三日ほど経つ。昨日一昨日と仕事で、さっき皿を洗って米を炊いた。
取り戻してきた感覚があるので書き進める。

10月13日 早朝4時 起床。身体がおかしい気がする。熱を測ると38.4。あークソと俺は言う。前の晩仕事中から喉が痛み始めて嫌な予感はしてたんだが、本当に熱が出るとは。
たぶん疲れや寝不足から来た熱。空港のゲートを通り抜けれるか不安だったがとりあえず準備だ。今日から三日間、No Funは韓国ツアーに出る。tedに解熱剤を大量に貰いサブバッグに入れた。まだ真っ暗な表通りでタクシーに乗り込みGROWLYへ。

前の晩から楽屋で寝てたのはラモ、コワダ、カイシュウの三人。部屋にはラモのサンプラーが繋がれて小さな音でテクノが流れてる。三階に上がって他の皆と煙草を吸う。5:00 GROWLYを出てJR二条駅へ。京都駅から高速バスに乗って関西国際空港。1~2時間を飛べば仁川(インチョン)に着く。

今回アテンドしてくれたのは韓国VICTIM RECORDS。そこと昔から仲良くしてるSTONELEEKとのスプリットツアーだ。彼らは一日早く前乗りしてるという。No Funからは桃歌は参加出来ず、清水も初日のみの参加。カメラでカイシュウ。tedも帯同する。

空港に着いて皆は楽しく飲み始めた様子。俺は病人らしくしてる。預け荷物の行列でとある日本人観光客の女二人組とひと悶着があった。NJのギターが倒れかかり腰に当たったとかで彼女たちは酷く怒ってる。こちらは丁重に非を詫びたはずなのにいい加減しつこい女達だった。広い窓から白い光。俺はベンチで横になってみたが何ともならん感じ。

その後無事離陸。国際線は国内線より乗客を放っといてくれる感じが良い。うとうとするうちに13時過ぎ。仁川空港に着陸した。検温ゲートに強面の韓国人空港職員。俺は逆算して解熱剤を飲んでた。問題なく通過。

外に出ると前入りしてた清水と合流。そのすぐ横でVICTIM代表キスン氏とその仲間が二人、出迎えてくれた。10人の音楽旅団、その荷物量を見てVICTIMの三人は何か韓国語で相談してる。たぶん想像より多かったんだと思う。うーん。まぁとりあず煙草を吸おうのジェスチャー。俺たちも皆喫煙所に向かった。困ったときにまず煙草。信頼出来る証拠だった。

初日のハコは仁川city中心部にあるビルの四階club knock。豪華なバーカウンターと派手なステージが目を引く大きなお店だった。リハをして欲しいとのことなので少しチェックする。PAは大柄の中年パク氏。ハコ物のマイクは全てワイヤレスマイクだった。たぶんバンドというよりシンガーやアイドルが多いハコなんだと思う。奥には屋上庭園があって喫煙と楽屋。辺りは高層ビルに囲まれて薄黄色にガスった空に包まれていた。荷物を置き物販を整理したら街へ出た。飯を食ってコンビニで買い物をする。皆思い思いに購入した飲み物や煙草がどんな味がするなどと言って盛り上がる。

19:30にイベントが始まり出番最後のNo Funが終わったのが24:00。フライトからの長丁場で流石に疲れていたがやるべきをやった感覚があった。店のバーカンをやる女性がいて、名前は失念してしまったが、彼女はイベント中ずっと忙しそうに走り回りながらも両手を挙げてバンドの演奏を楽しんだり笑顔と元気を絶やさない人だった。俺は彼女から、説明が理解出来なかったが3枚のCDを貰った。キスン氏のバンドSink to Riseのライヴは大盛り上がりだった。若いカップルも年配の家族も皆一緒になって楽しんでた.。

club knockは後方に椅子と机が並び、ステージ前の広い空間はがらんとしていて飯を食いながらバンドを見てテンションがあがったら前のスペースに出てきて踊る。そういう流れが自然と出来上がっていた。夜が深まるにつれ、フロアに疲れが見え始めるにつれ、形容し難い世界の片隅みたいなパーティーだ。 

打ち上げはそのまま屋上庭園で行われた。SWEET GASOLINEというパンクバンドのベーシストと話した。若い男で、高知のバンドのTシャツを着てた。あなたのバンド、良かった。胸に来る熱いものがあった。俺は彼にそう伝えた。彼は驚いた表情のあと、物憂げな表情でこう言う。
I don't think so...
良い曲が作れない。良い演奏が出来てると思えない。
彼はそう続けて、俺はそれ以上何も言わなかった。

2時を過ぎる頃、コワダとtedと街へ出てみた。軽く食える飯屋を探したがどこも閉店していたのでコンビニでカップ麺を食った。俺は不調の喉に配慮し酒は飲まずにペプシだ。酒に酔った男女のグループが大きな声で揉めてる。俺たちは駅前の歩行者天国を散歩した。知らない街で言葉も分からず、看板も読めない。

3時過ぎに打ち上げは終わり。バーカンの女性はいまだに笑顔でテキパキ働いてる。清水は翌日日本でライヴだったので今夜でお別れだった。ホテルまで15分だから歩こう。VICTIMのカメラマン、ゴ君がそう言う。ゴ君はとても気の良い奴で、鮮やかな金髪をオールバックで纏め上げたインパクトのある見た目。俺たちも他の共演者たちとその日の別れを惜しみながらゾロゾロ歩き始める。15分ほど歩いて大通りに出た頃、ゴ君が言う。あと15分で着くよ!
そうして地下通路に入っていき、団体も散り散りになっていく。ようやく着いたホテルは韓国映画で見るような寂しげな坂に静かに佇む古い建物。ベッドが一つしか無いので俺はtedと同部屋で、ほかの皆は誰と一緒の部屋になるかでひと悶着。NJと海、長友と小椋、コワダとカイシュウ、ラモとアマネ。必然的な組み合わせだったがラモとアマネの部屋に関しては監視カメラで見てみていたいくらい異様だと思う。

チェックイン後にキスン氏とヨンヒ君(彼もVICTIMクルーで、痩せて背の高いライダースの良く似合う男)がニヤニヤした顔で両手にデカいビール瓶を持って言う。310号室は飲み部屋にするからまだ飲みたい奴は来いよ。俺は思わず言葉が通じてないフリをしたと思う。VICTIMクルーの体力と飲む量は狂人的だ。

部屋に入って今日一滴もアルコールを飲んでないことに気付き、310号室に少しだけお邪魔しようかと思ったがシャワーをしたら一歩も動けなくなった。もう外は少し明るい。天気予報では雨。時計は4時を過ぎてた。京都の家で起きてからちょうど24時間が経った。体調は悪くなく、回復に向かってると思う。そうそう、携帯のタッチパネルが反応しなくなった。誤作動ばかりで文字もろくに打てない。こういう時、いつも眠る前に旅の記録を携帯に打ち込むんだが今回は出来そうにない。目をつむるともう雨の音が聞こえてた。1日目の記録はここまで。また書きに来る。

写真はclub knockの屋上庭園。大陸からの黄砂で空は真っ青ではなかった。

 

無題

9月28日 昼前にスーパーへ買い出しに出た。街に吹くのはもうすっかり秋風だ。裏路地を縫うように行くと街のネズミの気分。通り道、最近独立した知り合いのラーメン屋を見つけた。暖簾をくぐると開店前の準備中で一言だけ挨拶をした。今日はマクドナルドを食べる予定をしてるから。お祝いを持ってまた来るね。

この夜は安ちゃんの新居へ遊びに行く予定をしてた。手土産を買う。幼い娘にはピカチュウのぬいぐるみを。

一度家に帰って時間を潰す。14:00 横になって庭を眺める。toeは床を這いずり回ってる。茶を沸かし皿を洗い、まともに生きようとする人の殆どが経験するであろう静かな時間が流れていた。こういう時間が消え失せる日が来るかもしれないと想像するとどうだろう。それが他者、国、とどのつまり権力によって奪われるとしたら。小さな生活が沢山の価値観を産み、そのどれもに楽しいや悲しいを自身の責任で培う。そういう日々が続いて欲しい。権力者の逆鱗や気まぐれにノックダウンされてはいけない。

夜、大きな木に案内された。凄いやろ?そう言って小さな女の子は得意気だ。平屋が集まった狭い通りに化物のように突っ立つ巨木は確かに凄かった。月化粧された木肌、ざわめく深い緑。また訪れたいと思った。もう自力で辿り着けない気もするがそれもまた良いかもしれない。

それから1週間ほど経って今。昨夜のNo Funスタジオでは新しい曲を出してみた。難解な曲だったが皆の演奏、音の入射角のような、入り込み方がとても良かった。家に帰ってから歌詞の続きを書く。薄暗い台所を背に机につく。風邪を引いてから最近ずっと体調の悪いtedもようやくマシな様子だった。彼女は洗濯物を取り込んでいて、俺はそれを眺めてた。

無題

22日は岡山に居た。11時半に京都を出て途中兵庫を抜ける辺りでトンネル火災による通行止めで高速を降ろされる。激しい雨も降ってきた。遠征中は車に揺られながらゆっくり長い時間をかけてその日を意識できる。それが俺にとっては良かったりする。

先日とある先輩がメッセージをくれた。その中に「夜は圧倒的に若者のものだ」という一文を見た。若者、とは何だろう。昔サイケデリックという言葉や文化に興味を抱いた時期があった。幻覚は心をノックしない。俺の場合、弱さは別にあった。

音楽や服や飯もそうだ。自分が満足出来るものがこの世に存在しないから自分で作る。ただそれだけのこと。自己表現という崇高さには辿り着けないまま、最終的解決の無い飢餓感を抱き歩む者を若者だと形容するかもしれない。あらゆるもの、自分で作るって本当は何だろうな。言葉は借り物だという詩人の声がどこからともなく聞こえてくる。

ある夜、山科駅で電車を待ってた。薄汚れた待合室で俺は缶チューハイを飲みながらぼうっとしてる。同じく電車を待つ人々は皆すっかり一日に疲弊し一様に俯いてる。その中の一人若い金髪の女が突然鼻をほじくり始めた。彼女に取っては携帯の中だけが彼女の世界で、向かいのベンチから誰かが見てるなんてまさか信じられない空想に等しい事なんだろう。そうこうしてると湖へ向かう電車がやって来て、寂しい駅が眩しく照らされる。これから目的地まで1時間ちょっと。もう一本酒を買っておいても良かったな。

えーと、22日は岡山に居たんだっけ。IMAGE(イマージュ)というライブハウス。リハ前に2階の楽器屋に寄ってみた。俺はここ何ヶ月アコギのピックアップを探してた。中古で面白そうなものを見つけた。遠征先で見つけたものはつい買っちゃうね。ネットの口コミばかりアホみたいに読み漁ってても結局は店先で出会うものが親しみ深い。リハが終わってハコに併設されているバーで飲み始めた。No Funメンバーが1人ずつ増えていく。その都度に乾杯をしていると気分も上がって来た。俺は飲み過ぎないよう気をつける。

イベントが始まって、俺たちの演奏も終わった。遅くまで残ってくれた岡山の人達には感謝だ。IMAGE、岡山はNJの地元で彼がギターを習った先輩達が居た。NJは一日中とても楽しそうだった。出番最初、女子高生のバンドがやってた。ギタリストのコシのある歪みが聞こえる。この街のギターというのが確かに存在しているんだと思った。脈々と受け継がれるもの、その場所に染み付いている音。若者って何だろう。そういうものをぶち壊したい衝動の中に生きる者だろうか。はたまた渦中を夢幻に泳ぐ者か。イベント中何度か表を歩いてた。終演してからも煙草を吸いに何度か出る。水溜りと鉄板焼き屋の男女、狭い寿司屋のカウンターで眠たそうな爺さん。この夜、静かな雨だった。

耳を鍛えると社会や集団の大きな声は聞こえて来ない。多数派の魔力に決して屈しない。この先も自分自身を奮い立たせ続けれるかどうか。さっき帰宅中急な雨。この最近に多い。西大路御池の交差点、汚い喫茶店の軒下で見知らぬ爺さんと雨宿りをしてた。一向に止まないので俺は折り畳み傘を出して再び自転車を漕ぐ。家に帰った瞬間に稲光と雷鳴が始まった。今夜を保有したのは爺さんの方だった気がしてきた。

写真は岡山IMAGE付近の表通り。昼間出歩かなかったせいで右も左もよく分からないままだ。

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無題

18時までスタジオ番をして19時からはens.のゲネプロだった。3時間一つのバンドの音を触り続けるとメンバーそれぞれの音が持つ深い所でのプライドが見えてくる。

終わって一本だけを飲み昔話を少々。

帰ってすぐに眠ろうとしたが浅い所をずっと彷徨っていた。4時 toeが泣いてきたタイミングで俺とtedも起き上がる。俺は台所で飯を食ってみた。そういえば夕方焼きそばパンを食っただけだった。今日は朝の病院が終われば美術館に行く予定。久しぶりだ。もう1時間だけ眠れそうなら眠って、また今日のうちに書きに来るかもしれないし来ないかもしれない。まぁ何にしても、今日アニキの表現を改めて目の当たりにして俺は再び炎を貰ったね。

人が亡くなる。

場所が消え失せる。

新しきが産まれる。

心を見つける。

ただこの連続の中に居て、眠れないこともあれば、間違いもするだろう。自分は自分で騙してやれよ。歯も立たない現状に直面するとまず何からやれば良いのかと考えるが、色んなこと同時に進めてみるのも良いかもな。

美術館の内容はルーブル美術館から来た西洋画で、''愛''についての作品が集められていた。風俗画、宗教画、そのどれもに西洋社会の歴史と有様が描かれていた。俺としては愛という普遍なるテーマはまぁ置いといて、単に目の前の絵から何か受け取ってみようと歩廊した。説明文など無い方が良いのに、あんまり臭う感じだ。

全てを見終わり建物を出ようとしたがまだ他の展示が見られると看板で知り引き返す。日本の画家達の作品展だった。何のテーマも無く、ただ日本中の画家が作品を展示している様子。

俺は風景画が好きだ。上高地から見た穂高連峰や、唐松の紅葉、釧路の寂しい通りをただ描いたもの。そういうものが静やかで良かった。

美術館は岡崎という昔住んでた町にあって、俺たちは用事が終わればすぐに家に帰った。途中近所のスーパーに寄ったかも。右京区は斜陽。金曜日の夕暮れは車通りも多く。