疎水通りへ続く道がある。
川端三条をさらに東へ、途中小さな橋の手前を北に入ればその道に出る。
水かさの無い静かな川が白川で、桜の花びらがそこを生き残りのように流れていた。
19日の夜、俺は友人とそんな風景を見ていた。
見ながら、又せせらぎを聴きながら缶酒を飲む。煙草を巻いて一吸い。
そしてまたぐいっと飲む。舌の上を川の流れのように酒が通過していく。
休暇で一時帰国し、会いたい人の所を順番に回っているらしい。今夜は俺の番だった。
抑圧された国の話を聞くのは興味深い。
抑圧にこそ自由が生まれ、解放には不自由がつきまとう。
冗談を混じえながら会話は続いた。
彼は俺の四つ歳上で、先輩だった。
先輩だが、友人。俺たちは互いの心を知っているつもりだ。
スリランカではヒンドゥー教徒と仏教徒の争いが絶えないらしく、つい先日も死者が出たという。
そして事件に伴い政府によって街の電波が妨害され一切のネット環境が破綻。
こんなことは頻繁に起こることだと彼は教えてくれた。
それでもスリランカ人は皆マリファナを吸って笑って眠るんだと。
それから話題は共通の友人達へ。
誰それが結婚したとか、仕事を辞めたらしい、とかそういう話だ。
そんな話に好き勝手感想を言い合って、俺たちは笑っていた。
翌朝は近所の喫茶店へ。
煙草を二、三本吸うくらいの会話で、俺はもう出勤の時間だった。
バス停まで彼を見送る。
思っていたより早くバスが来て俺は少し寂しかったが。
その夜ピアノガールは奈良でライブだった。
共演者のライブ中、フロアに立つ人々の足から漏れる照明の灯りを写真に撮った。
それが俺には良い景色だと思った。
瞬間の連続が薄黄色に濁って、もう何も思い出せなくなる。
そんなことを思わせる一枚だ。
旧ホームページのサーバーが切れ、過去の日記が全て消えたようだ。
これからは此処に書く。昔からの決め事で、ただ無心に書き残すのみに捧げる。