low days

Kyoto Japan No Fun / PIANOGIRL vo. diary

香川山口遠征録

11:30 柔らかな陽射しの駐車場に集まり始めた。12月26日のこと。今回の車はハイエースタイプだったが内装はボンゴのそれで座席は見た目より狭い。店からはNJが走らせて来てくれた。缶コーヒーを飲みながら俺の新しい怖い話を一つ、皆んなに聞いてもらって車に乗り込んだ。今日は香川高松TOONICEでライブだ。

2〜3時間して橋の上を走っている。運転は火暗しがしてくれていた。小舟が多く徃く瀬戸内海が見下ろせる。車は海からの強風に揺れていた。

何度目かの休憩で寄った山間の寂しいSA、煙草を吸ってると妙な音楽が聞こえた。どうやら向こうの山から聞こえて来る。見れば何らかの児童施設で、そのメロディは聞き覚えのあるような無いような、とても不可思議なものだった。こういった感覚は共有されるもので、俺たちは皆んなしてその音楽に怯えているようだった。

高松TOONICEに到着。買ったコーヒーもすぐに冷める気温の低い昼下がり。リハを終えて予約していたカプセルホテルへチェックインに向かう。宿泊業界も常に進化しているようで、キッチンダイニングのようなスペースがある新しい様式の宿だった。それから居酒屋で一杯を飲む。No Funは本当に皆よく飲むね。俺は生ビールを少し残したと思う。身体が少し変な感じがする。

kinderwallsのナオトが組んでくれたイベントだった。日暮れと共に知った顔が集まり出し、久しぶり!と何度何度も言う。昔からの友達であるkojiとターケーが新しく組んだバンド GIVE ME BACK!との共演がこの日で、俺はとても楽しみにしていた。彼らは2000年代以降の国内激情にフォーカスを当てたサウンドで、当時その手の音やライブを唯一神として信望していた俺達にとっては手放しでも身体が動くようだった。それなのに俺はスネアのゴーストなどに気を取られたりして、酔っ払ってないといつまで経ってもしょうもないライブの見方しか出来ない自分に苛立っていた。ナオト、TOONICE、素晴らしい一日を本当に感謝している。

高松の皆とは説明不可能な何かで繋がっているような気がする。俺は勝手にそういう気がしている。人間には良い距離感ってのがある。そして居場所というモノが一つ二つでもあると個人は意思を保てる。あの階段で酒と煙草をやる為に橋を渡る。時折名前を忘れても、なぁ火ぃ貸してくれない?

日記ではライブの内容までは書かないようにしているがkinderwallsが最後に演奏した曲が俺の脳天を震わす原風景をくれたことだけ記録しておく。

イベントが終わるといつもの居酒屋で飲み始めた。俺は注文した寿司を一つも食わずに落ち着きなく話すばかりで。

ひとしきり飲み、2時頃には解散の雰囲気。俺以外のメンバーは皆んな先にホテルに戻ったらしい。俺はふらふら歩いている。カードキーを失くすかもな!と昼間に冗談で言っていたお陰で、それは今ちゃんと財布の中にある。

ダイニングで窓からの夜景を見ながら今日最後の煙草を吸う。体力はそろそろ尽きると、自分でそれが分かる。NJが居たっけ?ラモが居たっけ?あんまり覚えてないんだが、良い夜の終わりというのは大体そんなもんだ。

翌朝8時頃に目が覚めた。酒が残りまくった身体をシャワールームに押し込む。それから今回の遠征に付いて来ていたtedと讃岐うどんを食いに早朝の街へ出た。古めかしい雰囲気を持つ店は人気のない商店街にあった。奥に通され油でベタつく席に座る。うどんを待つ間、向こうの窓から朝の眩しい光が店内を照らすのを見ていた。それが妙に印象的だったこと。うどんの味は覚えて無い。

ホテルに戻ると皆も起き出していて、ラモが夜中に大声で寝言を叫んでいたと笑っていた。

香川から山口県宇部市までは意外と距離がある。この二県を繋ぐ遠征がピアノガールの頃も多くあった。12月27日 今日は宇部のBBBでライブだ。

16時頃到着。灰色の空から冷たい雨が降る。高速を降りてから長く続く有料道路を進む。山口県宇部市、煙吐きの町。今回の遠征は本来、SOOZOO(俺がベースをやるポストパンクバンド)とのスプリットツアーという名目だった。が、世界奇病の影響でSOOZOOは自制を余儀なくされ、No Fun単独ツアーとなったという訳。宇部はVo.聖流の故郷で、彼は今家業を継ぐ為にこの町で生きてる。着いて早々俺は彼に電話をかけた。今から会えない?リハーサルからおいでよ。

聖流とは8ヶ月ぶりの再会だった。少し老けたように見えた。隣にはヒトミも居て、ここが遠く離れた町じゃないような気がする。それから薄暗い階段で皆煙草を吸い続けているとある一人の男性がやって来て。

男性は俺が高校生の時地元でやっていたバンドでつるんでいた先輩だった。正直俺は当時の殆どに記憶が無く、先輩の名前もうろ覚えになってしまっていたが、その人相や喋り声を確かに知っていた。彼は10年前この町に越してきてバーを営業してると言う。そうですか!

今夜ライブだと小耳に挟んで、店があるから見に行けれないけど。少し顔を見れたらいいなと思って。先輩は言う。

こういう再会は本当に嬉しいもので、俺も先輩も昔のことを思い出しながら楽しく話した。そうこうして俺達はリハーサルが始まり、終わる頃には先輩の姿は無かった。俺は人づてに千円札を数枚渡されて、これで皆で一杯やってくれと先輩が言ってました、とさ。

イベントが始まる。轟韻というタイトル通り俺達以外は全員ラッパーで、地元のMC達が板を繋げていく。MFDEEN、HipHop特有の暑苦しさと気怠さが黄金比で混ざったラップ。彼は会話の端々に面白可笑しい言い回しをした。独特な会話をする人は良いね。スプリットツアーは叶わなかったので、せめて物だけでも!と思い持って来ていたSOOZOOのアルバムを彼は買ってくれた!イカしたバンドやってる人なら他でやってることもイカしてるに決まってるっしょ。彼はこういう風に言うが、俺も本当にそう思う。殊、自分に関してはその自負が無ければ無責任にCDを持って来ようなんてどうして出来るだろうか。

火暗しのライブも良かった。思えば彼とも長い付き合いになってきた。この夏は彼と釣りを沢山やった。会う度に腹を抱えるような面白い話を聞けるし、うーん。なんというか、身内をこんな風に書くと気味が悪いんだけど、本当に面白い良い奴だ。

DJのアズともゆっくり飲みたかったんだけど打ち上げには彼女は出られないようだった。見に来てくれていた昔からの友達も外出自粛の中、家族に嘘をついてまで来てくれていたようで、俺は本当に頭が上がらない思いだ。

随分酔っていた。打ち上げでは特製の火鍋が振舞われ(八角や五香粉も使われた本格的なやつ。美味かった。)俺たちは汗をびっしょりかきながら食いまくった。店長の和也氏には毎回こうして手厚い歓迎をして頂き、俺はというと未だ何も恩返しの出来ないままもう数年が経とうとしている。

宇部という町には故郷喪失したような独特な寂しさを感じる。俺はそれを好んでいる。北海道苫小牧と似た印象があって、あの濃霧の町を歩く時も寂しさに肩を抱かれているようだった。知らない町は、そして優しい。この島の僅かばかりの国土にあらゆる知らない町があって、俺はこの足でその地を踏むまで何も分からないでいるって最高じゃないか。

BBBにお別れを言って機材車に荷物を積む間、俺は昼間の先輩がやってるバーに案内してもらった。寝静まった通りに熱帯魚のように灯る青い光の店だった。入店。カウンターで今まさにシェイカーを振る先輩がこちらを見て「よう」という顔をする。俺はカウンターの真ん中に座った。何を飲んだか全く覚えてないが、さっぱりして美味いカクテルだった気がする。端で一人飲んでた女性客とその反対側で楽しそうにやってる男性二人組。そしてバーテンダーの先輩と俺。あの時間店に居た全員が広島の福山出身だということが分かった時は思わず皆で乾杯をしたね。楽しい夜だった。これから京都へ帰るの?そうですね。大変だね。いや、俺はもう役立たずですよ。運転してくれるメンバーに感謝です。そして間もなくNJと火暗しが俺を迎えに来てくれた。そろそろ帰ろうか。OK。宇部の夜を終わらそう。

バサバサと雨路を噛むタイヤの音。何時だったか覚えてないが目が覚める。車は今どこらへんを走ってる?運転は火暗し。助手席で限界そうに首を垂れていた長友と交代して俺が助手席に座った。このまま眠るより何か人と話していたい気分だった。

京都に着いたのは朝8時頃。いつもの駐車場、いつものビル。機材を降ろしたら皆で吸う最後の煙草だ。坊主頭の小椋は元気に自転車で駆けて行った。無事二日間を終えれて良かった。これを書きながら記録を残す理由について考えていた。誰に向けて書く訳でもなく、ましてや文章の推敲など阿呆らしい!指が動くままに文字を打っている。それでも読み返す度に関わってくれた人達を思い出せるだろう。忘れっぽい俺には大切なこと。理由はたった一つ、これ以外には無い。

 

あれから随分日が経って今日はもう1月30日だ。市役所前、下品な黄金色の本能寺会館。そこの一階にあるコーヒー屋で一番奥の席に座る。途中辞めになっていたこの遠征録を書き終えた。昨日もここに来て色々と書き物をしていた。今日は出勤前の午前中に寄る。腹が減っていたのでアーモンドバタートーストを食った。

月曜日に企画が迫っている。これを読む人へも宣伝をしておきたいのでフライヤー画像を貼っておく。ピンと来たなら是非現場で会いたい。

2月1日(月) 17:00〜京都GROWLY

f:id:pianogirl292:20210130211550p:image