low days

Kyoto Japan No Fun / PIANOGIRL vo. diary

day off

うらぶれて悩ましい日々だが、眠ろうと消灯する時、ふと明日が楽しみだという気持ちに気付くことがある。先日もとある訃報を知った。彼女の思い残したことは今後世界には到底計り知れないだろう。だが、生き残った者がふと明日を楽しみに思う気持ちがあるのなら。

少し前を振り返って書いてみる。

2月1日 仕事は休み。京大吉田寮食堂で行われるSteve Nickel追悼祭というイベントに行く予定をしていた。知り合いのミュージシャンが何人か出演することでこの日を知り、村島洋一を誘い出し二人で遊びに行った。午前中を何の意味も無く過ごし13時に百万遍で待ち合わせる。節分祭の喧騒と冬の暖かい日差しが交差点に入り混じっている。学生は陽気に行き、働き人は気忙しい。警官隊の出動も見られた。俺は何処に分類されるんだろうかと考えながら煙草を吸って洋ちゃんを待った。人を待つ時間が俺は好きだとふと思った。いつも15分ほど早く到着してその時間をぼけっと過ごすと落ち着く感じがする。

鉄板焼き屋で一杯飲み、あれやこれやを話し出す。店内の暖房のおかげで瓶ビールが格別に美味い。煙草が吸えたらもっと美味いのにと思いながら豚玉ととん平をつついた。そのまま調子付いてしまい付近のサイゼリヤへ河岸を変える。ここのワインに世話になる奴は多いんじゃないかな。とにかく安くて美味くも不味くも無い。もうかなり酔っ払っていた。15時半頃になって吉田寮へ向かった。懐かしの近衛通りを東に入ったら見えてくる失楽園のような建物。AUXの一曲目が始まった辺りだった。コンビニで買っておいたハイボールを飲みながら煙草を吸いまくる。そうか。禁煙の風潮、右に倣えの世。そんなものから断絶された居心地の良い場所で今日は夕暮れていくんだな。森島さんの子どもらしい何人かが崩れ落ちそうな屋根に登って楽しそうに騒いでいる。危ない感じもしたが俺も含めた大人達はそれを見て和やかな気分。途中トイレを探しに木造の寮へ入った時、窓から見えた庭を携帯で写した。梅の花のようなものがひっそりと咲き、それを眺める女性。この世を形作るひとコマが全てこのような瞬間だったなら、言葉さえ必要じゃないかもしれない。写真は下部に貼り付けている。

洋ちゃんは18時から出勤だった。俺もその時間から別の人と会う予定。烏丸御池まで一緒に自転車を漕ぎ別れた。玉屋ビルに住んでいた頃の先輩であるケンジさんと合流する。彼は数学の研究者で、今は高校の数学教師をやっている。駅構内の居酒屋で飲み始めたが、俺はもう随分酔っていてぼやっとしていたと思う。素面のケンジさんは俺に追い付く為に日本酒を一人でがぶがぶやってた。お銚子5本ほどが空き、彼もご機嫌そうだ。俺の家へ移動する。家ではスリランカの紅茶を飲みながら宗教の話、仕事の話、様々なことを喋ったと思う。tedは相槌を打ちながら紅茶を沸かし続けていた。そうして夜更けにケンジさんは帰っていった。外まで送って部屋に戻ると彼は携帯を忘れてた。しまった。俺が充電するよう勧めたからだと思う。

翌朝7時過ぎに玉屋ビルまで携帯を持って行くと廊下で洗い物をしているナガタさん(ビルの最年長のおじさん)に会い、ちょうど俺と入れ違いにケンジさんは出ていったと聞いた。書き置きをして扉に挟む。携帯はポストに入れて。ビルに透き通る朝の空気が懐かしい。此処で暮らした三年をかけがえの無いものと思う。この日8時から仕事だった俺はあまりビルの感傷に浸ることも出来ず、足早に二条を目指した。

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