low days

Kyoto Japan No Fun / PIANOGIRL vo. diary

スタッフとして約7年活動を共にしたaoiが今日、バンドを去る。

大阪のライブハウスで客として見に来てくれていた彼女に話しかけたのは約7年前だった。聞けばローディー(バンドに関する機材やステージの補助的役回り)の専門学校に通っていると言う。そうか、もし良かったらピアノガールでスタッフをやってくれない?俺は唐突に言ったと思う。まだ彼女のことを何も知らなかったけど、その落ち着いた佇まいに何となく惹かれていたんだと思う。それから今日までほぼ全てのライブに帯同、ステージ補助から長距離運転や物販販売に至るまで、あらゆる裏方仕事をこなしてくれた。俺はこんな人が支えてくれているんだと皆んなに知って欲しくて、よくライブでもaoiのことを喋ったし、面倒な絡みもよくした。ある冬には彼女の専門学校の卒業式をメンバー全員で祝いにも行った。学校を出てからも彼女はアルバイトをしながら無償のスタッフ業を続けてくれる。俺の唾や汗でぐちゃぐちゃになったマイクのグリルボールを毎回洗ってくれていた。ベロベロになって眠る俺たちを乗せて東京京都間を何度もたった一人で運転してくれた。毎回のセットリストや対バンをノートに書き残してくれという俺のお願いを本当にずっと、何年も書き続けてくれた。ステージ補助としては転換の諸々は勿論、ライブ中にあれほど動けるスタッフをインディーズ界隈で見たことは俺は無い。俺は昔aoiに言ったことがある。よっぽどのことじゃないとステージに入って来なくていい。多少のトラブルは自分で対処出来る。マイクが倒れたり、それもそれで俺は楽しいんだ。ステージに入るなら俺たちではどうしても無理なことを見極めて来るんだ、と。そして彼女は本当にその通りに動いてくれたと思う。三年前、前メンバーが全員辞めた時の最後のミーティングでのこと。俺は正直aoiもバンドを去ると思っていた。内心本当に恐怖しながら俺は彼女に訊いた。葵はどうする?

「私はやる。まだ私に出来ることがある気がするから。」

返って来た言葉はこうだった。それも俺の目を睨みつけるような、力強い瞳で。あのaoiを俺は忘れないし、今日まで俺がやってこれた勇気の源だ。現メンバーであるNJ、豪、ファイターにもそれぞれに彼女に助けられた事がきっとあると思う。

脱退の理由は東京で仕事を見つけたというもの。彼女が新たにやりたいことを見つけたということ。ひと月ほど前、夜中に電話がかかって来て俺はそう聞いた。止めることなんてどうして出来ただろうか。自分で見つけ、選び取り、その道を進むということは俺がずっと歌って来たことであり、俺自身そうしてきた。俺たちにはそれぞれの曲がり角がある。角を曲がり別れるその時まで全力でやったなら、さよならは悲しいことじゃない。本心では悲しい。当たり前だ。でも悲しくない。

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今福岡から帰る車の中でこれを書いている。もう夜は明け切って、最初のファイターの運転からNJに交代し兵庫県あたりを走っている。aoiは一番後ろの席で眠っているかな?俺は助手席でこの旅の終わりを想い、酒も抜けてきた。昨夜も良いライブだった。バンドは続いていく。人生だもの。そこに関わった人達の一人一人が元気でやってることを俺は祈っている。もしこれを読んだ人がaoiに会うことがあれば一言、お疲れ様でしたと言ってあげて欲しい。