low days

Kyoto Japan No Fun / PIANOGIRL vo. diary

2021.08.06

アスファルト熱されて。ぱちぱちと聞こえそうなほど。太陽直下の街を何度も車に轢かれそうになって行く。寝不足の夏、出町柳セブンイレブン。その先の花屋に向かう。植物を買う?飼う?分厚くて大きな緑の葉。彼らは静かで良い。陰でも育ち、窓際申し訳程度の日差しに喜ぶ。水はたっぷりと。

 

夜更け、1時を少し回った。今は8月5日だ。さっき練習が終わって帰ってきた。新しい曲は4〜5曲同時に制作中で、そのどれもに歓喜と難題が在る。ボーカル、最高音が迫る時。そしてイメージ通りぶち抜くように到達した時。なんともいえないあの緊張感や達成感や、数秒の出来事とは思えないドラマがある。今はまだ俺だけの中に。水を得た魚、板を得た楽団。疲労や苦悩は当たり前にあるもので、その先を掴みにいけるかどうかが試されている。ずっとそんな気分だ。

 

8月6日 8:15 黙祷。web zineとなったto futureを読んでいる。主には核兵器禁止条約について。さっきNHKで見た市長や総理の発言を思い返してみる。時間が掛かるのは分かる。このもどかしい感じは仕方ない。俺個人として、少しだけ書く。2021年の8月 自分自身の記録として。

日常的に暴力で死ぬことのない日本に生きていて、核兵器禁止条約(この世から核兵器が無くなる)を最大の理想と使命に思うのは当たり前だと思う。騙されているとしても、平和だと言えるこの島の上では。だが。そうじゃない国。戦争の只中で暴力こそが身を守る手段である場所で、核兵器禁止条約という大正義はどんな風に聞こえてくるだろうか。甘いんだろうな。やるかやられるかなら、やるさ。そりゃあ俺だってやる勿論。でも多分俺は明日戦争で死なない。それなら平和盲信者らしく大いなる理想を信じることも出来る。それしか出来ない。テレビ、平和公園の陽炎には子どもの頃から感じてきた恐怖や荘厳なるものを今年も見た。蝉と鐘の音、水面を燃やす太陽。身体に刻まれている、その夏と恐怖が。