low days

Kyoto Japan No Fun / PIANOGIRL vo. diary

今年も空梅雨なのか、さほど降らない。アルバムレコーディング最終過程にさしかかり日々、朝になって帰る。

今年頭から始めたアルバムレコーディング。隙間を縫うようにしてやり続け、やっと昨夜最終ミックスが終わった。6月13日。

昼の12時に開始、家に帰ったのは朝6時。11日も16時から朝までやったと思う。

俺のこだわりやアイデアをエンジニア朝倉氏が形にしてくれる。長時間の作業で疲弊した耳をさらに酷使して、0.5dBの差に一喜一憂する。満足の連続。都度、ニヤリとする。

俺がつきっきりでディレクションし、ファイターと豪は常にふざけて場を和ませてくれる。NJはおそらく俺たちに信頼を寄せてくれていて、自分のやるべき仕事を優先し、夜から参加するという形だった。

朝倉氏はついやり過ぎてしまう俺たちにいつも冷静な判断をくれた。でも彼もエンジニアとしはかなり破戒的で、反時代的な人間だった。それぞれの感性をごちゃ混ぜにして、目覚ましい彩色になっていく。この色に何と名前をつけよう。

自宅。缶ビールを開ける。それと同時にCDを再生した。新しい音。人が聞けば何と言うだろう。寝ぼけたtedが降りてきた。完成?もうちょっとでね。彼女はトイレを済ませ再び二階へ上がっていった。もうすっかり朝だったが俺はまだ興奮冷めぬ狂夜の中にいるようだった。

ランセンは短気な男だった。

んん、短気を演じている男だった。新宿駅で人を殴って大声を出したり、酔っ払うと他人には手が付けられなかった。俺たちは親友だった。ケンカで負傷した足を引きずりながらライブに来てくれたこともあった。ウイスキーをボトルで空けて鎮痛剤だと笑った。彼は間抜けを演じる癖があったし、俺はその都度賢いふりをした。本当は逆でね、間抜けは俺。やつは上手に生きてた。福岡に住んでいた時は毎週韓国まで行きカジノで金を稼いでた。なんで彼の話を書き始めたのか、俺にも分からないが。

 

一週間が経つ。過ぎたのは時間と、俺の状況も変わっていく。雨の降る20日。昼前に出勤。

18日朝に大阪で大型の地震があった。8時少し前だったか、俺は揺れで目覚める。すぐに豪に連絡をする。大丈夫か?彼は震源地近くに住んでいた。その日俺はSOOZOOでライブだったが、震災の影響でイベントは中止になる。正午からマスタリングに立ち会うためコスモスタジオへ。19時、青天井が完成した。

その日はすぐに家に帰り、防災準備をすることにした。ペットボトルに水道水をためる。風呂にも水を張る。登山で使っていたミニコンロなどもカバンに詰めておいた。夜はリビングに布団を敷いて、この家に住む者三人集まって眠った。

死者が増え続けている。一人ずつ。子どもと老人。まだ増えるだろうか。今なお瓦礫の下で?過去を例にすると、今日あたり本震が来る可能性がある。