low days

Kyoto Japan No Fun / PIANOGIRL vo. diary

studio nostosへの遠征録

しばらく書いていなかった。11月の真ん中、昼の暖かさが嘘みたいに夜は冷えていく。

15日 10時起床。煙草を買いに街へ出た。最近近所のよろず屋に巻きタバコが置いてあるのを知ってそこへ行ってみた。赤い布屋根が歩道まではみ出た汚い店。見るとシャッターが閉まっている。定休日のようだ。再び来た方向と反対へ歩き始める。

三条河原町に二軒煙草屋がある。15分ほど歩いて到着。どちらも定休日。そうか今日は日曜日だった。日曜、煙草屋は一斉に休む。どうしてか知らないが。

通りに散り溜まった黄葉を足で掃くようにして歩いた。橋のところで中東系の外国人が3人缶ビールを飲みながら騒いでいる。向かいの餃子屋では老人が数人で瓶ビールをやってる。すれ違う若者も皆頬を赤らめて姦しい感じ。俺はとても平常心だった。レコーディング中の曲を聴きながら先のイメージを作っていく。心が落ち着いているのを感じる。静かに強く。御池通りまで戻ったら輸入食品屋でトマト缶や乾麺を買い込んで家へ戻った。

それから出勤したのが14時。ここまでを書いて、少し最近のことを思い出してみる。

11月7日。三重県津市のまっ平な町にぽつんとあるレコーディングスタジオnostosでNo Funのライブだった。田畑と竹林と地平線、世界の片隅のような場所。

主催者でありスタジオの経営者朝倉さんと再会する。また痩せたように見えたが俺は何も言わないでおく。彼の周りを小さな女の子が駆け回っている。もっと小さな子はお母さんの背中に紐でぴったりくくられ果物のような顔でこちらを不思議そうに見ていた。薄い霧が漂うまだ午前中に、嬉しくなるほどの穏やかな気持ちで俺たちは酒を飲み始めたと思う。

nostosは素晴らしい場所だった。レコーディングスタジオという計算され設計された環境ということもありバンドの出音はとても素直に純粋なものに聞こえる。ブースには小窓があって、そこからこの町の全ての郷愁が見えるようだった。何も知らない初めての町がこんなにも優しく寂しい感じがしたのは何故かな。俺は何本も飲んだがあまり酔っ払わなかった。

ライブが終わるとやっと夜が来て、自分にしか知り得ないプレッシャーのようなものから解放される。こんなカントリーなホームパーティーでさえ俺は自分自身が張り詰めて針のようになっていく感覚に襲われる。昔はこれを辛いことのように感じていたが、受け入れてしまえばどうってことはない。それすら楽しんでみると一日は随分早い。

時計を見ると20時だった。宴会は終盤のような雰囲気。それは本当かよ!俺たちは好き放題食って飲んで朝倉家の暮らしの中に混ぜて貰っていた。tedなんか昼間にはしゃぎ過ぎてダメになってずっと二階で眠っていた。煙草を吸いに外へ出る。曇りの日だったから星は無く深い闇。この家のこの灯りを遠く向こうから見てみたい気分だった。小さな姉妹にとって今日はどんな風に記憶されるのだろう。町は今日少し騒がしかっただけで、明日からまた静かな日々を巡っていく。

NJと長友は疲れが回ったようで先に眠り始めた。俺は結局朝まで飲んでくたばるようにソファで眠った。ラモは自前のシュラフを膨らませて床で。小椋は最後裸で踊ってたっけ。そういえば夜更けは強い雨で。

数時間後、俺たちは車に乗り込んで朝倉家の皆とお別れをする。こういう朝は決まって真っ白で、花瓶のように静かなんだ。切り裂くようにスライドドアを強く閉めよう。そうしたら田園を縫うように走り、京都へ。

nostosのオープンは世界奇病真っ只中の四月だった。この年の内にお祝いを出来て良かった。これを書く今、宣伝の意もある。音楽への深い愛を聴こえるものに出来る体験は朝倉さんとなら出来る。https://twitter.com/nostosrecording

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