low days

Kyoto Japan No Fun / PIANOGIRL vo. diary

最近になってようやく脳棚が整理されてきたので少し書き残そうと思う。

最近になってようやく脳棚が整理されてきたので少し書き残そうと思う。こうなった今なら、まとまらないままにも過去その時々で思ったことは手記として残すべきだったかもしれない。そうしなかったという記録を今夜の冒頭とする。これは自分自身へ''依頼''する気持ちがあって、決してまとまってきたことを書きたい訳ではない。

24日 0時29分 さっき部屋の明かりを消して静かな街の一遍に加わった感じ。今朝、真夏の始まりのようだった。寝不足が続く俺は口内炎だらけ。tedが髪を脱色したいというので市役所前の地下街へ買い物へ出た。腹が減ってたが飲食店は混雑していて俺たちは食いそびれる。薬局へ入りブリーチ剤と小蝿取りを買った。こういった取り留めのなさに自分を見つけると俺は楽しくなる。楽しくなって調子に乗って失敗するのがいつもの通りなんだが。

21日は0時に仕事が終わってそのままAntonioのロビーで一人曲を作っていた。誰もいないのに耳の奥で誰かが演奏する音が聞こえていた。本当に耳の奥か、それとも扉や壁のずっと向こうか、俺には分からないままだった。ポスターが自然に剥がれ落ちてくる。ちょうど前の晩にテレビでポルターガイストの特集を見ていたので俺は妙な気分になる。この日はとても寒い夜で、帰り道は冬にそうするように襟に首をすぼめていたと思う。

22日 疲れていたのに何故か3時間ほどしか眠れず、8時前には布団から起き出していた。それから顔も洗わずに歌を録音し始める。寝起きの声質が俺は嫌いじゃない。昼過ぎまでそういった録音作業に没頭し、仕事へ向かった。五月らしい突き抜けるような天気。夜は自宅で遅くまで飲んだと思う。スリランカで録音した環境音を繋ぎ合わせて曲にしてみた。酒を注ぎ足し俺は酔っ払ってきて家中の音という音(天井から吊った銅鈴や換気扇の擦れる音など)を録音し始める。それを見るtedは呆れた様子。

ライブの話を少しする。四月も五月も多くの人の根性の下、俺は5本のライブをやれた。今月はまだあと2本ある。そのどれもをソロで行っている。理由としては色々あるが、気付いたら次々とライブが決まって行き、その目まぐるしさの中でただ弾いて唄うことが連続しているという感じ。過去10年間ずっとそうで、これに関しては理由は無い。

終電。誰もいない京阪電車の最後部車両からこちらに手を振った幽霊がいた。溝に下水が溜まった連絡通路に生温い風が猛烈に吹き込む。もっと行けよお!と俺に、顔を真っ白くした俺にそう言うようだ。粉々に壊れた看板が様々な想いを教えてくれる。誰彼の力を感じる。扉を開け放すと表通りは土砂降りで、俺たちはなんてどうしようもないんだ!と息を切らしながら笑っていた。どの家から見てもそれは絵画じみた景色だったと思う。

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