low days

Kyoto Japan No Fun / PIANOGIRL vo. diary

不時奏後想記少々

7月2日 物凄い雨の音で深夜に目が覚めた。鋭く強い力で金属を打つ音がする。雨がそうしている。眠れそうにないのでこれを書き始めた。

一週間程前に三回目の不時奏(No Fun主催で月一開催しているイベント。GROWLYのフロアライブでやらせて貰っている。)を終えた。共演者との親和性はお互いが演奏を終えるまで不明であることが望ましい。音楽活動へのリスペクトを大前提としてオファーをかけ、当夜が終わる頃に''やって良かった''と心から思えるとまず個人的には成功だと言える。そう納得しながら煙草を吸い、今度は来てくれた人の心持ちを気にし始める。帰って行くお客さんの背中に心中で語りかける。メンバーは賑やかに飲んでいる。豪雨にも似た騒がしさと静かな街の片隅に俺たちは居る。そこに共に居た人達が''楽しかった''という気持ちそれだけが大切なんだと、俺は忘れないように努める。今ある場所と人を一番に大事にすべきだと、俺は忘れないように努める。

でも待てよ?歌はたった一人で行くようだ。何事からも感傷を得ず、何者の意見にも左右されず、投石のように放たれた!俺は音が目に視える。さようなら、をそれ以外の言葉で言えよ。小さい音量なら全部が聴こえるさ。大きな音なら服でも脱いでしまえ。

雨の勢いは一向に収まらない。

ここ数ヶ月でよく耳にする話があった。誰それが心を病んでしまい前線を離脱する、という内容の話。(ここでは''前線を離脱''という甚だ誤った表現をあえてする。)鬱となり社会や文化において表立った活動を辞めた人を多く見聞きした。そして誰もがそんな予兆の中に居る気がする。これまで俺もそういった人たちと直接話すことがあったが、彼らの目には生気とはまた別の力を感じた。離脱する者は裏を返せば本気だ。最も勇気を必要とすると思う。俺はよっぽどそういう人を信頼する。あらゆる死に目にも立ち会えないこの時代で、また会えたらいいねとは絵空事のようにさえ聞こえるが、本心だろう。あっちもこっちも無い。前線も後尾も無い。ただ俺もお前も圧倒的に人間同士だと、昔俺はそう歌ったことがある。他人に期待はせずとも興味を無くしては悔しい。人間の傲慢さに負けた気がして悔しい。