low days

Kyoto Japan No Fun / PIANOGIRL vo. diary

奈良の記録と、その翌日は。

11時のアラームで目覚める。まだ少し酒が残ってる。昨夜は奈良でライブで、メンバーでは俺と豪だけ飲んでた。ほかの皆はシラフで、それでも楽しそうにやってる。机の上は空き缶だらけで、トドメを刺すように吸殻まみれだ。

ヘンが俺を見つけてやって来る。バンドが俺好みのサウンドになっていて、良かった。とライブを褒めてくれた。Chains Under the Skyのミュージックビデオに出演してくれた友人。働き口も見つかり、また音楽を始めるとも言っていた。ヘンは俺のことをクン付けで呼ぶ。秋クンさぁ、と。その柔らかい話し方が俺は好きだった。昔は得体の知れない薬をやってボトルワインをラッパ飲みしながら車を運転するような奴だったが、彼も彼なりの前進を続けているようだった。

それからAge Factoryのエイスケと話してた。楽屋の扉を放った所。佐保川沿いの茂みを前に、虫の声を聞きながら俺たちは話した。互いのこと、行ってみたい国、夢はあとどれほどに俺たちを連れて行ってくれるかな。夢想じゃなく、地に両足を付けた前進。それが出来なくなったら足を畳んで眠ろう。


写真はリハが終わり道路に布団を敷いて寝る豪とファイター。布団は長い間車に積みっぱなしだったせいかダニが湧いていたらしく、このあと天日干しをしていた。

帰りの機材車に乗り込んでから俺は急にしんどくなって床で丸くなる。吐きそうなのをこらえる。皆がラーメンを食べに行こうと話し出すのを聞いていた。俺は大人しく車で寝とこう。俺たちは普段機材車を岩倉の駐車場に停めている。目覚めるとその駐車場に着いていて、吐き気も少しマシだった。ファイターの車に乗り換え、再び走り始める。家の前まで送ってもらい、お疲れ様、じゃあまた!家に着いてから無性にラーメンが食いたくなって、家にあった袋麺を湯がき始めた。醤油を多目に垂らしたしょっぱいやつ。一口食って、やはり吐きそうだった。喘ぎながら全部を食い、汁は流しに捨てた。

 

バス停の電光表示によれば目当てのバスはまだまだ来そうにない。梅雨入りが嘘のような快晴、真夏の海辺にいるようだった。横から肩を叩かれる。チーコだった。今日は休みで友達と出掛けるんだと。俺たちは同じバスに乗った。穏やかな正午に居た。

裁判所前を過ぎ御所周りの木々が風に揺れるのを見る。修学旅行生や外国人の集団が次々とバスに乗ってくる。京都は一年を通してこうだ。特にこの数年で外国人観光客が猛烈に増えた気がする。何処へ行っても外人。隣でフランス語が聞こえてきたと思えば反対側からけたたましい中国語。府民の俺たちの方が肩身の狭い思いをしているね。

昔、玉屋ビルで共に過ごしたアメリカ人のGageと最近連絡を取った。デパートで働いているという。

日本に来る予定は?

オレゴンの友達が日本で行われるけん玉の大会に出るんだ。それを彼女と見に行くよ。

そう。その時は是非会えたらいいね。

Gageはアメリカが嫌いだった。自国がやってきたことを自分なりに判断して、アメリカを否定することにしたんだと。大人しくて優しいが、強い男。写真で見たGageの彼女は緑色の髪をしたpunkな感じだった。

 

21時40分、屋外に居る。タバコ屋で貰った新作のサンプルを吸ってる。コーヒーフレーバーの葉っぱ。多目に巻いて深く吸って、ゆっくりと夜に吐きだす。